日経新聞の2025年5月18日朝刊1面に「AIにあらがう将棋棋士」という記事が掲載されました。
将棋の世界ではAIがプロ棋士の強さを凌駕したとも言われており、多くの棋士がAIを研究ツールとして活用しています。そんな中で「あらがう」とはどのような意味を持つのでしょう。記事によると、AIが必ずしも高い評価をしない戦法を、トップ棋士があえて採用する動きに見られるようです。
これは、将棋界だけの話ではないように思います。昨日のブログで日本ではDifyのようなローコードツールが注目を集めている一方で、海外ではエンジニアが自らコードを書いてシステムを構築する文化が根強い、という話に触れました。AIが人間の知的な作業をサポートしたり、人間の能力を大きく超える成果を出したりする中で、人間がAIとどう向き合い、自らの専門性や創造性をどう発揮していくのかは、多くの分野で共通するテーマと言えます。
将棋棋士がAIに「あらがう」というのは、AIの評価値や推奨手を鵜呑みにするのではなく、そこに人間ならではの大局観や美意識、勝負の駆け引きといった要素をどう織り込んでいくか、ということなのかもしれません。AIの力を借りつつも、最終的には自分自身の頭で考え抜き、人間同士だからこそ生まれる深い読みや独創的な一手で勝負を挑む。そんな棋士の気概のようなものが「あらがう」という言葉に込められていると思います。
将棋界では、AI研究が深化して定跡が高度化し、膨大な暗記と研究時間が求められるようになっているそうです。徒労感すら感じさせることもあるといいます。そんな中で、AIの評価値だけを追い求めるのではなく、人間ならではの深い思考や、相手の心理を読むといった駆け引き、「自分自身の将棋」を貫こうとする姿勢が「あらがう」姿に現れているのかもしれません。
Difyのようなツールが「誰でも簡単に」を実現してくれるのも素晴らしいですが、専門家が深い知識や経験を持ち、AIが「正解」とするものに疑問を投げかけ、独自の価値を追求する姿勢が、これからの時代にますます重要になってくるのではないでしょうか。
AI技術が私たちの仕事や生活に急速に浸透していく中で、この「AIにあらがう将棋棋士」たちの姿は、人間がAI時代にどのように主体性を保ち、創造性を輝かせていくべきかヒントを与えてくれそうです。